まじめに生きているとつかれる。
こんなことを感じていませんか。
世間では、まじめなことって評価されますね。
- まじめに勉強する
- まじめに働く
- まじめな生活を送る
以上のことが、まるで「あるべき姿」のように教えられてきた過去があります。
まじめでいることが悪いこと?
と言われれば、そんなことはありませんね。
まじめでいることは悪いことでも何も無いです。
ただ、何事も「やり過ぎる」のは良くなくて、バランスが大事です。
まじめすぎると息苦しさに包まれる
「まじめにしなさい」
ってことを受け入れるのは、外から与えられる評価に振り回されることです。
まじめかどうかの評価は周りから下されるものになりますね。
周りからの評価で動いていると、疲れてしまいますね。
何を持って「まじめ」というかなんて、曖昧な尺度です。
世の中が設定している評価軸なので、大半がそれに馴染めても、中には馴染めない人もいますよね。
そして「まじめにしなさい」が繰り返されると、どんどん「まじめ」の基準が上がっていきますよ。
「こういう時はこういうように行動するもの」
みたいな縛りを作れば作るほど、息苦しさに包まれていきますよね。
まじめすぎるを自分で作らない
「こういう時はこういうように行動するもの」
って自ら定義してしまえば、自分自身を縛って身動きが取れないようにしてしまう事と同じです。
その縛りを振りかざすと、自分自身が疲れてしいますね。
自分にとってメリットがないです。
だから、あまり自分で「まじめすぎること」を作らないことは大切です。
常に自分を微調整しながら過ごしていくことって大事ですよ。
無意識のうちにまじめ思考に縛られている
ところで、「なんだかんだで頑張ってしまうんだよなー」って感じたことはありませんか。
- 仕事が嫌なのに職場に行くとなんだかんだで頑張ってしまって、家に帰るころにはかなり消耗している
- 翌朝も疲れているけれども、職場に行くと結局頑張ってしまう
こういう経験したことがある方も多いのではないでしょうか。
無理してしまうことってあると思いますが、体は正直なので確実に疲れています。
こんな状態が長期間続くと体に良くないことはなんとなくわかりますね。
でもこの場合、自分で自分のことを無意識のうちに縛っている部分もあると思いますよ。
「こういう時はこうしないといけない」みたいな無意識の感覚で自分を縛っているという事です。
特に根拠もメリットもないのに、一種のまじめさのようなものに縛られて疲弊していることって、意外と身近なところであります。
客観的に判断する
もしも「息苦しいな」とか「ちょっと疲れてきたな」って思ったら、自分を一歩引いた眼で見ることを心掛けてほしいです。
よくわからなければ、周りからフラットな意見をもらうようにして、自分の状況を把握できるようにしていきたいですね。
自分はまじめではないって思っていても、外から見たらまじめっていうように評価されていることもありますからね。
意識して、まじめすぎる自分を作らないことが大切です。
「まじめじゃない」くらいがちょうど良い
もし、自分のまじめさに疲れるなって思っている人がいたら、「まじめじゃないくらいがちょうど良い」って思って日々の生活を送ってみてはいかがでしょうか。
ちょっとぐらい適当でもいいんですよ。
もちろん犯罪を起こすようなことはダメですけど、ちょっとぐらい適当になったっていいんじゃないかなって思いますよ。
多分、今までまじめな生活を送ってきたという自覚がある方だったら、
「そんなことして大丈夫なの?周りからどう思われるかわからないじゃん。」
って、不安に思う人もいると思います。
自分がまじめではないような振る舞いをしたときの、周りの反応というものがわからないのです。
その経験がないから、どんな反応になるのかが想像がつかないのです。
なので、多少心配になる気持ちはわかります。
でも、大丈夫です。
まじめな人が、「まじめじゃないぐらいがちょうど良い」って思いながら生きていても、他人からはまだ「まじめな部類」に見られていますから。
息抜きの必要性
人生100年自体と言われている昨今において、こまめに息抜きをする時間を設けることも必要です。
まじめに生きて心身ともに疲弊していたら楽しくないですからね。
自分の体の中にあるエネルギーは無限ではないので、それをどのように効率よく運用していくかは自分自身で考えていくことが大切です。
まじめにやらなきゃって自分を追い込んで、自分のことがないがしろにしたら、後で割を食うことになるのは自分自身ですからね。
自分の身近にある考え方がすべてではない
国が違えば、まじめの定義なんて違ってきますよ。
それぐらい、日々の生活で感じる「まじめなこと」が世の中の全てではないんです。
今、目の前にある考え方だけ縛られる必要はありません。
今自分の身近にある考え方がすべてではないのです。
そして、考え方の選択肢を多く持っている方が何かと気持ちが楽になるもんですよ。
例えば、一つの物事に関して考え方を一つしかもっていないと、その考え方だけに縛られることになってしまいますからね。
その考え方が自分に合えばいいですけど、合わなかったときに悲惨ですよね。
でも、複数の考え方を知っていれば、
「今、目の前にある考え方がすべてじゃない」
って物事を達観して見られるようになります。
「今はこうやらないといけないけど、別にそれがすべてではないよね」
って思えるだけでも、だいぶ気が楽になります。
まじめに生き過ぎているなって感じたら、ちょっとぐらいい加減になってみてはどうでしょうか。
楽な生き方をしてしまっても良いんですよ。
